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青森地方裁判所 昭和23年(行)42号 判決 1949年3月22日

原告

久保重次郞

被告

留崎村農地委員会

主文

被告が昭和二十三年四月二十二日自作農創設特別措置法により靑森県三戸郡留崎村大字目時字畑福十五番地畑一段二畝十三歩についてした売渡計画決定中売渡の相手方同県同郡同村同大字字岩見の下一番地西野末次郞を原告に変更する。

訴訟費用は各自弁とする。

請求の趣旨

主文第一項と同趣旨。

事実

原告訴訟代理人は、その請求の原因として被告は被告が昭和二十二年三月十九日自作農創設特別措置法により不在者訴外関惠所有の靑森県三戸郡留崎村大字目時字畑福十五番地畑一段二畝十三歩につき買收計画決定をした当時訴外西野末次郞こそ右農地につき耕作の業務を営む小作農であつたし又、將來自作農として農業に精進する見込があつたものであるとして昭和二十三年四月二十四日同法により右畑につき末次郞を売渡の相手方とする売渡計画決定をした。しかし該決定は次のような理由により違法不当である。元來右畑の所有者であつた訴外関淸は右畑所在地方で生まれ長じてこれを自作すると共に多年同地方で、敎員、村長、その他の公吏に歴任し、相当信望名声を博していたが大正末期に死亡しその養女訴外関惠当四十四年(原告の妻訴外久保せつの実妹)がその家督を相続すると共に右畑の所有権及び占有耕作権をも承継取得した。しかし同女は農業継続の意思及び能力がなかつたので昭和元年実兄藤村礼二を賴つて札幌市北六條四八丁目の現住所に引揚げた。ところでその際その親族達の協議により原告の父が惠から「右土地を原告の父において無償で使用收益することができる外惠の承諾を得ずして他人の転貸することもできること。期間不定。但し原告の父において惠の祖先の祭祀供養、墓守等を怠らないこと」と定めて貸與引渡を受け爾來原告の手助を受けて昭和三年十二月頃までこれを占有耕作していたが同年末死亡、原告はその家督を相続すると共に右地位をも承継し、その後これを昭和六年まで占有耕作し翌七年一月訴外中村藤吉に「目的耕作小作料(賃料の意)年中等大豆一俵(四斗入)その納入期限毎年十二月三十一日期間不定」と定めて転貸引渡した。しかし昭和十一年暮当事者の合意解約により右畑の返還を受けた。そして翌十二月一日被告の父訴外西野萬三にこれを前同一條項で転貸引渡した。爾來何人はこれを占有耕作していたが納入期限を経過しても昭和十三年度分の小作料を納入せず履行遲滯のまま翌十四年十一月十一日死亡し、その長男訴外西野末次郞においてその家督を相続すると共に右転借契約上の地位を承継し依然その占有耕作を継続していた。しかし同人は各納入期限を経過しても昭和十三年乃至十六年度の小作料を納入せずその履行を遲滯し且家人の病氣、出稼等による手不足等のため、農耕継続の意欲がなかつたから原告は昭和十六年十二月末次郞と合意の上右契約を解除し即時同人から右畑の引渡を受けた。そこで翌十七年三月全域を馬、鋤鍬等で掘起しこれに各種肥料を施入地均しその上、慣例通り約四間四方十六坪に一本の割合で二年生及び三年生林檎樹計二十四本を移植し、爾來季節に應じ或は土壤を掘返し或は煮大豆、大豆糟魚糟等の肥料を下施、地均し或は又立木の枝葉に殺虫剤を振掛ける等手人万端を辞らず若木の培育に全力を傾注しその成果期して待つべきものがあつた。しかし他方原告は末次郞の懇請默し難く同年四月「右土地の一部分を、目的野菜類の間作、但し林檎樹の生長繁茂に毫も差し障りがないように機動的に使用すること、賃料取引上相当金額、その弁済期毎年十二月三十一日期間不定、但し末次郞において右約款の一に違反したときは原告において別段履行の催告を要せず何時でも該契約を解除することができること」と定めて貸渡した。ところで末次郞は連年右約旨に反し擅に占有の主從を顛倒し各若木の根元まで全地を深く掘起こし数多の高く狹く細長い畝を造り上げこれに部厚く大豆、大麥、粟、稗、煙草等を播種耕作し、碌々肥料を施さず原告の施した肥料を殆んど吸收攝取させて地力を十二分に発揮させたため、作物の成長は素晴らしく夏時、莖、枝葉が鬱蒼として繁茂し結実洵に見るべきものがあつたに反し、原告の植栽した果樹若木は右作物に養分を奪われ日光を遮断されたため、生長遲々として進まず目下通常の場合に比し四、五年も後れている。加之、末次郞は橫着にも昭和十八年三月原告に無断右畑の略中央部約二畝四歩に生立する若木四本を、拔取り捨去りその跡に隈なく作物を密に培植した。なお各納入期又は弁済期を経過しても原告に昭和十三年度以降の賃料の納入又は支拂をしなかつた。(尤も最近居村農業協同組合を通じ僅か金十七円五十銭を支拂つたが固より一箇年分の賃料額にも達しない。)そこで原告は昭和十九年一月以來屡同人に右違反是正及び賃料の支拂を催告したがこれに應じないので原告は遲くとも昭和二十年十月三十一日末次郞に前記間作契約解除の申入をしよつて以つて同契約は將來に向つてその効力を失い同人は即時原告に右間作部分の引渡をしなければならない義務を負担していた。

原告は当五十七才で二十六才まで農耕に從事し今なお勞働能力衰えず又妻(当五十四才)長女(当二十八才)長男(当二十五才)二女(当二十三才)二男(当二十才)三男(当十七才)四男(当十三才)の内三男を除く六名も稼働能力を具有している。

然るに原告家は本件畑以外一坪の農耕地すら保有せず転た脾肉の嘆に堪えないに反し末次郞は家族が小數だのに本件畑以外田畑一町五段歩を自作し眞に裕福な生活を味いつつあり、從つて同人は本件畑の耕作をしなくても毫も痛痒を感じない。

又前叙のように本件畑は洵に原告一家に由緖深いものがあり原告家は当初幾久しくこれを管理し機会をみて何等かの方法により惠からその所有権の讓渡を受け永代自作しようと思惟したればこそ、管理事務に沒頭し他面惠の父祖の祭祀供養、墓守等を懈らなかつた次第で右畑に対する原告家の愛著心等主観的利害関係は通常一片の経済心理を以つてしては到底理解することができないものがある。

以上のような場合には斯法の精神からいつても本件売渡の相手方は当然これを原告とすべきで断じて末次郞とすべきではない、そこで原告は被告が昭和二十二年三月十九日右畑を同法第三條第一項第一号に所謂不在地主に属するとの理由の下に買收計画決定の対象とした際直ちに被告に、前陳事情を具陳して右畑買受の申込をした。然るに被告は嘗ては原告の言分を是認肯定しながらその後一派の人達の策動指示に動かされ、これを無視して同じくその買受の申込をした末次郞を相手方として前記売渡計画決定を敢行した。よつて原告は昭和二十三年四月下旬被告に異議の申立をしたところその頃棄却の決定を受けたので更に同年六月十九日靑森県農地委員会に訴願したが同年九月三十日これ又棄却の裁決を受けた。

しかしながら前叙のように本件畑が全部林檎園でありただその一部が間作地であるに過ぎない場合はその主たる占有耕作者は固より林檎園経営者であり断じて間作者ではない。この理は間作者の違約又は不法行為により林檎園が若干侵蝕され立木の生育が相当後れた場合でも毫も異なるところはない。殊に林檎園経営者が当該土地と特段の主観的利害関係があり又農耕能力、農耕地の有無関係等原告を保護すべき事情多々あること前叙のような場合には農地の公平な再分配生産力の強化を主眼とする斯法の律意からいつても本件土地を原告に売渡すは洵に至当であり断じて末次郞に売渡すべきではない、よつて右売渡計画決定の取消を求めるため本訴に及ぶと陳述し被告の抗弁事実を全部否認しなお遠距離農耕不能の抗弁に対し、本件畑は原告の住所から約三粁離れた地点に存在するけれども殆んど県道に接し交通は甚だ便利であるから肥料の運搬下施、立木の手入等のため往來するに毫も支障を來たさない、現に原告の居町には住居から里余の遠隔の地に存する畑に往來して耕作するものも尠くないから住居と耕地との距離が二、三粁あるからとて寸毫も林檎園経営に差し障りはないと附演した。

(立証省略)

被告代表者は原告の請求は相立たないとの判決を求め答弁として原告主張のような買收計画決定、各買受申込、売渡計画決定、異議の申立、その棄却の決定、訴願、その棄却の裁決があつたこと、原告と訴外西野萬三との間に原告主張のような転貸借が成立し、萬三は原告より農地の引渡を受けこれを占有耕作して來たこと、訴外西野末次郞が父萬三の死亡によりその家督を相続すると共に右転借上の地位を承継し爾來昭和十六年まで右土地を占有耕作して來たことは各これを認めるけれども爾余の事実は全部これを否認する。末次郞は昭和十七年以降現在に至るまで依然当初の転貸借に基き本件畑を占有耕作しその間萬三及び末次郞は各納入期限又は弁済期限に賃料の納入又は弁済を完履して來たところ昭和二十年三月原告は右畑に末次郞の承諾を得ずして擅に二年生林檎樹二十本を移植してみたが右畑が原告の住所から里余の遠距離にあり耕作に相当不便であるばかりでなく原告は営農の経驗が淺く手入を怠り殆んど耕作を罷廃したため現在既に六年生の若木が殆んど萎縮して生育結実は覺束かない状態にあり

右畑買收計画決定当時耕作の業務を営んでいた小作農で他日自作農として農業に精進する見込のある者は末次郞を措いて他に全然なく耕作者の地位を安定させ、労働の成果を公正に享受させ、又農業生産力を発展させるためにも末次郞を売渡の相手方としなければならないことは勿論であるから本件売渡計画決定は洵に相当で毫も違法又は不当の廉がない。よつて原告の本訴請求は到底相立たないと陳述した。

(立証省略)

理由

原告主張のような買收計画決定、各買受申込、及び売渡計画決定があつたことは当事者間に爭がない。

よつて右売渡計画決定の当否につき按ずるに、本件畑の所有者であつた訴外関淸は右畑所在地方で出生し、長じてこれを自作すると共に多年同地方で、敎員、村長、その他の公吏に歴任し、相当信望があつたが大正末期に他界しその養女訴外関惠(当四十四年)(原告の妻訴外久保せつの実妹)においてその家督を相続すると共に、右畑の所有権及び占有耕作権をも承継取得したこと。しかし同女は農業継続の意思及び能力がなかつたので昭和元年実兄藤村礼二を賴つて札幌市北六條西八丁目の現住所に引越したがその際その親族等の要望もあり原告の父が惠から「原告の父において右土地を無償で使用收益することができる外惠の承諾を得ずして他人に転貸することもできること、期間不定、但し原告の父において惠の祖先の祭祀供養、墓守等を怠らないこと」と定めて貸与引渡を受けたこと、爾來原告の父が原告の手助を受けて昭和三年十二月頃までこれを占有耕作していたが同年末死亡し、原告がその家督を相続すると共に右地位をも承継し、その後これを昭和六年まで占有耕作し、翌七年一月訴外中村藤吉に「目的耕作、賃料、年中等大豆一俵(四斗入)その納入期限毎年十二月三十一日、期間不定」と定めて転貸引渡し、昭和十一年十二月当事者合意の上、該契約を解除して右畑の返還を受けたことは何れも原告本人訊問の結果によりこれを推認するに足り被告の全立証を以つてしても右認定を覆すに足りない、そして原告と訴外西野萬三との間に、原告主張のような転貸借が成立し、萬三は原告より右畑の引渡を受けこれを占有耕作して來たこと、訴外西野末次郞が父萬三の死亡によりその家督を相続すると共に、右転借上の地位を承継し、爾來昭和十六年まで右土地を占有耕作して來たことは何れも被告の爭わない所であり、証人梅田吉郞、戸川治之助、小野寺正身、橋本栄一の各供述に檢証及び原告本人訊問の各結果を斟酌綜合すれば末次郞は各納入期限を経過しても昭和十三年乃至十六年度の小作料を納入せずその履行を遲滯し、且家人の病氣、出稼等による手不足等のため、右畑農耕継続の意思がなかつたから原告は昭和十六年十二月、末次郞と合意の上、右転貸契約を解除し、即時同人から右畑の引渡を受けたこと、そこで原告は翌十七年三月全域を馬等により堀起しこれに施肥調整の上慣例通り約四間四方十六坪に一本の割合で二年生及び三年生林檎樹計二十四本を移植栽培し、爾來季節に応じ土壤を堀返し和らげ煮大豆、大豆糟、魚糟等の肥料を施し地均しし、或は立木の枝葉に殺虫剤を振り掛けるなど、相当手入を怠らずその成果を期待していたこと、ところで原告は同年四月末次郞の懇請により「右土地の一部分を、目的野菜類の間作、但し、林檎樹の生長繁茂に毫末も差し障りがないように、臨機応変に使用すること、賃料取引上相当金額、その弁済期毎年十二月三十一日、期間不定、但し末次郞において右約款の一に違背したときは、原告に於て別段履行の催告を要せず、何時でも契約を解除することができること」と定めて貸渡したこと、然るに末次郞は爾來連年、約旨に反し、擅に占有耕作の主從を顛倒し、各若木の殆ど根元まで全地を深く堀り起こし数多の高く狹く細長い畝を造り上げこれに部厚く緻密に大豆、大麥、粟、稗、煙草等一年作の雜穀等を播種耕作してこれに全耕地の養分を十分吸收攝取させたため、作物は順調に生長し、夏時莖、枝葉が所狹いまでに繁茂猖獗し結実洵に見るべきものがあつたに逆比例し、原告の移植した各若木は右作物に養分を奪われ又日光を遮断されたため発育遲々として進まず通常の場合に比し三、四年も後れているばかりでなく、末次郞は昭和十八年三月原告に無断右畑の略中央部約二畝四歩に生立する若木四本を拔取りその跡に前叙作物を密植したこと。なお同人は各納入期及び弁済期を経過しても原告に僅かに金十七円五十銭を支拂つただけで爾余の賃料を納入又は支拂わずこれを嫌怠していたこと。そこで原告は遲くとも昭和二十年十月三十一日末次郞に右約款違背を理由として前記間作契約解除の申入をし同契約は將來に向つてその効力を失い同人は即時原告に右間作部分の引渡をしなければならない義務を負担していたこと、原告は当五十七才で二十六才まで農耕に從事し、妻子七名中六名は稼働能力を具有しながら本件畑以外一坪の農地すら耕作せず居常何れも脾肉の嘆に堪えず從つて本件林檎園僅に一段二畝十三歩の経営の如きは原告一家にとつては洵に日常茶飯事に過ぎないこと、反之、末次郞一家は家族が小数であるに拘らず本件畑以外田畑約一町四反歩を自小作し相当裕福に渡世し、本件畑の耕作をしなくても差し当り痛痒を感じないこと、本件畑は眞に原告一家に由緖深いものがあり、原告父子は当初幾久しくこれを管理し機が熟するを俟ち何等か妥当な方法により惠からその所有権の讓渡を受け自作しようと思惟し、右畑の管理利用に努力し、他面惠の祖先の祭祀供養、墓守等を懈らず右畑に対する原告家の愛著心は普通一片の経済心理を以つてしては到底理解することができないものがあり他方又惠においても右畑を所詮手放さなければならないものなら原告一家のために手放したいとの念願、洵に切なものがあること等を肯認するに足る。

被告は末次郞において、本件転借料給付債務を完履しつつ、昭和十七年以降現在に至るまで依然当初の転貸借に基き本件畑を耕作して來たところ、原告は毫も末次郞の承諾を得ずして擅に林檎樹の若木を移植してみたが右畑が原告の住所から遠距離にあり且つ原告は殆んど営農能力がないため若木は萎微して生長しない旨主張し証人田中松次郞、小笠原平助、田中秀雄、西野末次郞は何れも稍これに吻合するような供述をしているが同各供述は前叙各証拠と愼重に対比考察すれば到底そのまま首肯し難くその他被告の全立証を以つてしても右認定を左右するに足りない。(ただ檢証の結果によれば本件畑は、原告の住所から約三粁離れた地点に存在することが明白であるけれども右畑は殆んど車馬道に接し交通は概して利便で原告の住所から肥料の運搬下施、立木の手入等のため往來するに殆んど支障を來たさないことは原告本人訊問及び檢証の各結果を綜合してこれを肯定するに余りがあるのみならす本件畑と末次郞の住所との距離も亦必ずしも短くはないことは証人西野末次郞の供述及び檢証の結果を綜合してこれを認めるに難くはないから原告の居住地と右農地との間隔が末次郞のそれに比し若干大であることの如きは原告の営農効率が末次郞のそれに劣る尺度とすることができないものといわねばならない。

思うに叙上のように本件畑は元元、原告の親族の所有に係り原告一家はその依賴により殆んど自家の所有物同然の愛著心を以つてこれを利用又は管理して來たところその転借人において、累年転借料債務の履行を怠つたため竟に転貸借が合意解約により消滅し原告自ら果樹園経営の目的で全域に苹果若木を植栽して折角その培育に努力している際若木の生長を妨げないよう機動的に野菜類の間作(下作ともいう)を許されたに過ぎない者が枝葉の生延繁茂する雜穀煙草等を若木の根元にまで緻密に植付して養分攝取又は採光を妨げその生長力を著しく減衰させ剰つさえその数本を拔取り擅にその跡を耕作するような振舞は応に主たる原告の占有を從たる間作人の占有に掏り換え、廂を借りて母屋を奪うの類いで信義の原則、契約條項に違背するは勿論実に不法行為を構成しその過責甚だ軽からざるものがあるといわねばならぬ。加之、元作人において稼働能力を具有する多数の家族を擁しながら耕すに一片の地すらないに引換え占有褫奪者において本件畑以外一町数段歩の自小作地を保有し食糧に事欠かないような場合には営農生産能力及び農地の公平な再分配という観点からいつても間作人の耕作権よりも寧ろ元作人のそれを保護する必要があるであろう。以上各種の状況を綜合考覈すれば本件売渡の相手方は須らくこれを原告と定めなければならないに拘らず末次郞と決定した本件売渡計画は事実に即せず不当であるばかりでなく斯法の解釈を誤り適用しなければならない法律を適用せず若しくは適用することができない法規を運用した違法があるものといわねばならない。

そして右売渡計画決定に対し原告主張のような異議の申立、その棄却の決定、訴願及びその棄却の裁決があつたことは当事者間に爭がないから原告は本訴提起につきその前提要件を具備したものということができる。よつて原告の本訴請求を理由があるものと認め訴訟費用につき行政事件訴訟特例法第一條民事訴訟法第八十九條第九十二條第九十五條の趣旨に則り主文のように判決する。

(なお、本件判決のように売渡の相手方を彼此取り換え形成する裁判は新たな行政処分をするのと少しも差異はないから行政権の干犯ではないかとの疑義がないでもないからここに一言附加しなければならないであろう。

論者或は行政事件訴訟特例法が請求の趣旨及び判決主文の基準として指示する行政処分の「取消又は変更」は單に「取消又は一部の取消」の意に過ぎない、「変更」とあつても新たな行政処分をしても差支はないという趣旨ではないと説明し、その根拠を主として憲法に所謂三権分立の律意に措くもののようである。がしかし、今若しこの「変更」を單に「一部の取消」に過ぎないものとすれば、法文で「全部又は一部の取消」とするか或は又單に「取消」とすれば沢山で何も好んで紛ぎらわしい「変更」という文字を附加使用する必要がないのみならず、憲法の各條章を仔細に点檢比較し、民主国統治機構の眞の在り方を探求してみても行政事件訴訟の対象を何処までも純然たる「取消」に局限しなければならない、新規処分の如きは微塵も許さるべきではないというような動きの採れない窮屈な論結は出て來ない。立法といい、行政と名付け、司法と稱えはするが源を糺せば同じ高嶺の月影で絶対眞個不可分の統治権の一断面乃至行使機関の一態樣に過ぎず本來毫も氷炭相容れないものではない。三位一体、相倚り相俟つて眞実一如の統治権が嚴乎として存在し又その妙味を発揮することができるのである。「司法は司法のために存する、司法の本分は行政処分の取消だけで沢山だ、取消の結果如何は我不関焉」というような、樹を見て山を観ない見解乃至退嬰姑息消極的態度は司法も円融無凝な国権公務の一環であり、一面は他の二面があつて始めて一面でありこの二面がなければ最初から一面であり得ないという有機的関連に眼を蔽わうするもので眞に恐るべき跛行的、井蛙的、独善観といわねばならない。行政処分の取消だけでは既存の法律関係をバラバラに破壞するだけで毫も調整、再建に役立たず、否、到底拾收することができない混乱状態に陷れるだけであるけれども取消と共にそのよつて來る所以の法律関係につき軽い意味の新処分すること、謂わば、一挙手一投足の労により克くこれを未然に防遏することができるというような場合には單に取消しただけで能事畢れりとせず藉すに一臂の力を以つてする労を惜しまないことこそ応さに新時代の事実承審官に課された神聖な使命の一部であらねばならぬ。

今これを本件事案に即して観ずるに本件売渡計画決定を單に取消すに止どまる判決が確定してもそれだけでは、ただ最終事実審の判決に接著する口頭弁論終結に至るまでの状勢では末次郞が売渡の相手方ではないということが確定されるに止どまり原告が該相手方であるという積極的事実までも確定されるのではない。無論被告は該判決確定後更に売渡の相手方を定める計画決定をしなければならないであろうがこの場合該相手方が必ずや原告でなければならないという制限は法理上到底あり得ない。第三者又は前記口頭弁論終結後の新事態に応じ再び末次郞自身を該相手方に選定しても毫も違法ではない。この結果新計画決定委員会では関係者の利害錯綜、議論百出、〓日彌久決論に達せず、勢いの赴くところ、拾收することができない困難な事態を惹起することもないとはいえないであろう。加之、新計画決定に対する、異議、訴願、行政訴訟等各種の不服の申立がないとは誰が保証することができるであろう。かくて混乱に混乱を重ね、本來敏速果敢に完遂しなければならない農地改革の魂を根本的に蹂躙し、怨嗟の聲が巷に満ち、司法の威信は地を拂うであろう。「切開はするが縫合わせは御免」という外科医では本來助かる壽命をも出血により失わねばならないであろう。

反之、今本件判決主文のように売渡の相手方を彼此入れ替えた場合を想像せよ。恰かも船が再び出帆港に戻つて出直おすを要せず乗客の入れ替えだけでそのまま進行することができるように折角進捗した手続を当初に遡つて無効視し再出発を余儀なくさせずこれをそのまま有効視し、唯売渡の相手方だけを甲乙相取り替えるだけで足りるであろう。從つて更に原告を売渡の相手方とする計画決定の樹立公告、書類の供覽、知事の売渡通知書の交付等の面倒な手続を要せず。他方又これらの手続を前提とする不服申立の問題も生ぜず原告において末次郞が具有又は負担していた権義をそのまま承継することができ、かくて被告の当初の行政処分に重大な欠陥があつたに拘らずその影響を最小限度に喰止めることができ延いて迅速的確を生命とする画期的農地改革の実を挙げ国土再建の基礎を固めることができるのである。

かくてこそ始めて司法権本來の姿が顯現し国民が康んじてその道に就くことができるであろう。

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